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鶴田浩二が愛した女性は岸恵子
「傷だらけの人生」の大ヒット曲もある俳優鶴田浩二さんの愛した女性は、女優の岸恵子さんです。
鶴田浩二さんは雑誌のインタビューにこう答えています。
「20年も前のことだけど、かつて彼女を愛していたという記憶は捨てることができない」
「人は、ときとして女房よりも素晴らしい女性に出会うことはあります」
1950年に「エデンの海」で松竹の新人女優中尾照子さんと共演した。
鶴田浩二さんは中尾照子さんとの結婚を約束。
照子さんは女優を辞めて実家に帰り正式なプロポーズを待った。
そのころに岸恵子さんが鶴田浩二さんの目の前に現れた。
「当時の自分(鶴田浩二さん)は、照子より岸(恵子)くんのほうを、より愛していたかもしれない。会社からは岸くんとの仲を裂くための妨害がありました。結局は岸くんとは別れたんです。自分自身の心の結着でした」
岸恵子さんも鶴田浩二さんを愛していた
岸恵子さんも鶴田浩二さんとの交際をこのように語っています。
「清らかにお付き合いが始まり、清らかに終わった感じです」
「純金のおそろいのネックレスを二人でつけていました。ある日、私が知らない事情を知らされました。もうお別れしようと心に決めました。自分で身を引いたんです。泣きながら橋の上から純金のネックレスを川に投げ捨てました」(日本経済新聞電子版21年6月4日)
鶴田浩二さんと岸恵子さんの話を纏(まと)めると
共演した照子さんに結婚の約束をした。
その後に岸恵子さんが現れた。
そして岸恵子さんの方を愛した。
結婚を約束した人がいることを岸恵子さんへ話した。
岸恵子さんは驚き悲しんだが身をひくことにした。
1955年11月21日
鶴田浩二さんと照子さんが結婚。
その2年後
岸恵子さんもフランス人の映画監督と結婚した。
「彼女を愛した記憶は消すことができませんよ。だけど女房からすれば、思い出などという、なまやさしい感情じゃないですよね」
「すべてオレの責任なんです。だからできるだけ彼女の心の傷をいやしてあげたい」
3人の人柄は真似できない
1987年に62歳の若さで鶴田浩二は肺がんで亡くなりました。
13回忌の法要の時に照子夫人が感謝の言葉を述べています。
「いろいろあっても、きちんと私の方を向いてくれていました。楽しい誠実な人。私が悩むようなことはありませんでした」
誠実な人柄だったからこそ岸恵子さんのことも隠さなかった鶴田浩二さん。
自分から身を引いた岸田恵子さん。
鶴田浩二さんのことを受け容れ、鶴田さんに感謝した妻の照子夫人。
他人を思いやる気持ちがあった鶴田浩二さん、照子夫人そして岸田恵子さん。3人の真似(まね)はできません。
最終的に、鶴田浩二さんが照子夫人を選んだのは正解だったと思います。
鶴田浩二さんと知り合い女優をやめて家庭を守った照子夫人。
鶴田浩二さんは62歳という若さで生涯を閉じましたが充実した幸せな人生だったと思います。
このブログ内容は、週刊ポストsepiaの記事を参考にしています。