黒田日銀総裁の功績のブログのため黒田日銀総裁の写真を添付

【安倍晋三が指名した黒田日銀総裁】黒田東彦総裁は無能なのか?

アジア開発銀行の総裁室に男が座っていた。
電話が鳴った。

補佐官の声
安倍総理からです。

「白川方明日本銀行総裁の後任として、黒田さんを指名したい」
第31代日本銀行総裁が誕生した瞬間だった。
それは大きな歴史が動き出した瞬間でもあった。

黒田東彦総裁は無能なのか?
黒田総裁をネットで検索すると
「黒田総裁 無能」が出てきます。

黒田東彦氏の成し遂げた業績が知られていないからでしょう。
日本人が知らなければいけない真実が報道されていません。

2023年11月
日本経済新聞の「私の履歴書」(月替わりで人物が変わります)が始まりました。

黒田東彦(くろだ はるひこ)氏です。
「私の履歴書」の1回目の内容

2013年2月21日だったと思う。マニラのアジア開発銀行(ADB)総裁室で補佐官がつないだ電話の驚きを、鮮明に覚えている。「白川方明日本銀行総裁の後任として、黒田さんを指名したい」。安倍晋三元首相の声だった。

安倍氏にはADB総裁として二、三度アジア経済について説明しただけだ。総裁候補との噂はマニラにも届いたが、ADB総裁に3選されて1年しかたっていなかった。
一瞬は戸惑ったものの、私は指名を受けることにした。

日本経済は1998年に始まったデフレが15年間も続いていた。
2008年9月の世界金融危機「リーマン・ショック」による経済低迷と11年3月の東日本大震災後に1ドル=75円まで進んだ円高・ドル安のもとで、デフレは深刻さを増した。
困難であろうが、だれかがデフレを止めねばならない。この指名は私にとっての天命と思ったのだ。
日本経済新聞「私の履歴書」から

日本人が知らなければいけないこと

何人の人が犠牲になれば「惨事」と呼ぶのでしょうか?

何十万人もの人が亡くなったにもかかわらず、マスコミは沈黙しています。
よって、国民は「大惨事」があったことを知りません。

ほんとうに不思議な国です。
人の命をどう思っているのでしょうか?

日本の自殺者数
1993年  21,851人
1994年  21,679
1995年  22,445
1996年  23,104
1997年  24,391
1998年  32,863

1997年11月に1つの都市銀行(今のメガバンクみたいな大銀行です)と山一証券(当時の4大証券の1つ)が事実上倒産しました。

11月3日に準大手証券会社の三洋証券が、バブル期の積極経営があだとなり、会社更生法の適用を申請しました。17日には北海道拓殖銀行(拓銀)が1年以内の清算を発表し、戦後初の都市銀行の破綻となりました。大蔵省(現在の財務省)は大手銀行は潰さない方針でしたが、北海道銀行との合併による救済策などが不調に終わり、三洋証券の破綻による市場の混乱もあって資金調達ができなくなった結果で、その後、北洋銀行への営業譲渡が決まりました。

24日には、4大証券の一角を占めていた山一証券が自主廃業に追い込まれました。損失補てんなどの不正が明るみに出たことや、破綻した拓銀の主幹事として資金提供を行っていたことが影響しました。

拓銀、山一証券の破綻で、日本は未曽有の金融危機に突入しました。
読売新聞の記事から抜粋

1997年(平成9年)11月に銀行や証券会社を潰したことにより1998年から自殺者が3万人以上になりました。
年間100人増ではありません。1000人増でもありません。
1年間で約1万人の自殺者が増加したのです。

その後も3万人以上の自殺者が続きました。

黒田東彦さんが日銀総裁だった時期は2013年(平成25年)3月20日~2023年(令和5年)4月8日です。
2013年  27,283人
2014年  25,427
2015年  24,025
2016年  21,897
2017年  21,321
2018年  20,840
2019年  20,169
2020年  21,081
2021年  21,007
2022年  21,881

21,000人でも多いかもしれませんが、黒田東彦さんが金融緩和を続けてくれたお蔭で、1990年(21,346人)1991年(21,084人)頃まで、やっと下がりました。

拓銀や山一倒産の翌年の1998年から2012年(黒田さんの就任が2013年3月)の15年間の自殺者数が480,898人です。15で割ると、年間32,060人。

1991年の年間21,000人から比べると、11,000人も多くの犠牲者を出しました。
金融政策がしっかりしていれば、15年間で16万5千人の方の命が亡くならないで済んだとも言えます。

何人の人が犠牲になれば「惨事」と呼ぶのでしょうか?
自然災害ではありません。
大規模な金融緩和を黒田総裁就任以前から日本銀行が実施していたら、数万人、数十万人もの命が助かった大惨事です。

平成の暗黒時代の15年間(1998年から2012年)
橋本龍太郎内閣の時に拓殖銀行、山一證券が倒産し、その後、小渕、森、小泉、安倍(1次)、福田、麻生、そして旧民主党の鳩山、菅内閣まで3万人以上の自殺者が続きました。
野田(旧民主)内閣時で3万人を切りましたが、まだ2万7千人。

2013年3月に日本銀行総裁になった黒田さんが登場するまで自殺者数は1990年当時まで下げることができませんでした。

大惨事が15年以上続いていたにも関わらず、ほとんどの日本人は知らされていません。
これは都市伝説ではありません。

ネットの検索で「黒田総裁 無能」が出てきます。
罰(ばち)が当たります。

日本に神様が現れたようなものです。
金融緩和をしなければ、今後も数十万人、ひよっとしたら数百万人の犠牲者が続いたことでしょう。

安倍晋三回顧録

「書籍:安倍晋三」の内容を書いていきます。

私が官房長官時代、小泉純一郎首相と一緒に福井俊彦日銀総裁に量的緩和の解除は時期尚早だから辞めてくれ、とお願いしたにもかかわらず、06年に解除してしまったこともありました。P111

小泉純一郎内閣は内閣支持率が高い内閣でした。
小泉さんが首相だった時期は2001年4月26日~2006年9月26日
自殺者数
2001年  31,042人
2002年  32,143
2003年  34,427
2004年  32,325
2005年  32,552
2006年  32,155
2007年  33,093

2008年  32,249
2009年  32,845
2010年  31,690
2011年  30,651
2012年  27,858

福井俊彦日銀総裁の任期が2003年3月20日~2008年3月19日
白川方明日銀総裁の任期が2008年4月9日~2013年3月19日
白川日銀総裁時代に自殺者は減少しましたが、まだ2万8千人弱までしか下げられませんでした。

政治たちもおかしいと思っても、日銀の政策を止められませんでした。

経済政策について私にアドバイスをしてくれていた浜田宏一エール大学名誉教授や岩田規久男学習院大学らとやりとりを続けていく中で、金融政策に問題があるという認識を強めていきました。

私の金融緩和論は最初、いろいろなエコノミストからさんざん叩かれていました。
当時の日本経済団体連合会(経団連)会長からも、無鉄砲な政策と言われてしまいました。

自民党総裁の掲げた政策をそこまで言うか、と思い、経済財政諮問会議の議員から外れてもらいました。P111~112

安倍さんの方針に「無鉄砲」と言った経団連の会長は米倉弘昌氏(住友化学出身)
今となっては、どちらの考えが正しかったかがわかります。

米倉弘昌氏の略歴
1960年3月、東京大学法学部卒業後、住友化学工業(現住友化学)に入社。
1965年、米国のデューク大学大学院経済学専攻修士課程修了、経済学修士。
2018年11月に逝去されています。

安倍元首相の思い描いた金融緩和を行った黒田日銀総裁の誕生が2013年3月
2013年  27,283人
2014年  25,427
2015年  24,025
2016年  21,897
2017年  21,321
2018年  20,840

東大法学部卒、米国の大学院で経済を学んだ米倉弘昌氏は日本経済が変わったことに気づいたのでしょうか?

日経新聞を読むと、アメリカのノーベル経済学賞を取った教授も黒田日銀の金融緩和を支持していた記憶があります。(永久的ではなく現状の政策としての支持だが)
経済や金融に本当に精通している人材(大学教授クラス)不足が大惨事を招きました。

黒田日銀総裁の回顧録

日本経済新聞の「私の履歴書」を読むと黒田氏は司法試験に合格していて、大蔵省に入省できなかった場合、法曹界に行ったと書いています。
黒田東彦氏が大蔵省に入ってなければ、どうなっていたでしょう。

安倍晋三氏曰く
「財務省は、OBで大和総研理事長だった武藤敏郎氏に交代させようとしていましたね」
「財務省は金融政策には関心がない。ただ単にポストがほしかっただけです」


この書籍では、黒田氏を日銀総裁に選んだ理由も書いてあります。

黒田氏の話を続けます。

私は慌ただしく東京に向かった。国会でデフレ脱却に向け最大限の努力を払うと述べ、同意を得て第31代の日銀総裁に任命された。13年4月の最初の金融政策決定会合で、2%の物価安定目標をできるだけ早期に達成するため、大幅な「量的・質的金融緩和」の導入を全員一致で決めた。
10年余りの総裁在任中、私はデフレ期に醸成された「物価も賃金も上がらない」という社会通念(ノルム)を打破し、日本をデフレから脱却させることを目指した。新型コロナウイルスの感染拡大や、ロシアのウクライナ侵攻といった波乱にも見舞われた。

困難の中で常に頭にあったのは、何が日本にとって最適な対応か、何が国益かということであった。

日銀の同僚と総力を挙げた大幅な金融緩和で「デフレではない」経済は実現した。
日本経済新聞「私の履歴書」から抜粋

 

安倍晋三さんが指名した黒田日銀総裁は無能なのか?
このブログ記事の題からして黒田東彦氏に対して失礼です(自分が書いた題なのですが)
安倍晋三さんと黒田東彦さんは、日本人にとって大恩人です。

同じような大惨事を2度と起こしてはいけないということを忘れてはいけません。
金融政策が重要であり、金融政策が失敗すると何十万人もの犠牲者が生まれてしまう。

マスコミが報道しなくても、事実を知っておき、今後、間違った政策を取らないように、国民一人一人が注意を払っていく。

受信料で成り立っているNHKぐらいは、きちんと報道してもらいたいものです。
人の命や財産が失われるような事件は、国民が知っておかないと同じ悲劇を生み出してしまいます。

読み取るべき数字

自殺理由のトップは健康問題です。
経済・生活問題より多い。

自殺者数
1997年  24,391人
1998年  32,863人

男性と女性の数
1997年 男性 16,416 女性 7,975
1998年 男性 23,013 女性 9,850

倒産やリストラ・失業による「健康問題(うつ等)」と解釈するのが妥当でしょう。
1年間で男性が6,597人増加、女性が1,875人の増加です。

1993年から2022年の数字です。
1993年  21,851人
1994年  21,679
1995年  22,445
1996年  23,104
1997年  24,391

1998年  32,863
1999年  33,048
2000年  31,957
2001年  31,042
2002年  32,143
2003年  34,427
2004年  32,325
2005年  32,552
2006年  32,155
2007年  33,093
2008年  32,249
2009年  32,845
2010年  31,690
2011年  30,651
2012年  27,858

2013年  27,283人
2014年  25,427
2015年  24,025
2016年  21,897
2017年  21,321
2018年  20,840
2019年  20,169
2020年  21,081
2021年  21,007
2022年  21,881

2010年以前は警察庁の統計、2011年以後は厚生労働省の統計数字です。
数字をどのようにカウントしているか不明ですが、発表部署で数字が違っています。

上記の数字と違っていますが、統計学者の本川裕(ほんかわ ゆたか)氏作成のグラフです。
一目瞭然で「大惨事」が発生したことがわかります。

社会実情データ図録のデータ「自殺者の推移」
社会実情データ図録からのグラフ 「年齢別自殺者数の年次推移」から

働きざかりの50歳代の方が被害にあったことがわかります。家族もいたでしょう。
北海道拓殖銀行と山一證券が事実上倒産(97年11月)した翌年から自殺者が急増しています。

この大惨事をやっと止めてくれた人が、安倍晋三元首相が指名した黒田前日銀総裁です。
社会の教科書に載せて、日本人が永久に、この大惨事を覚えていかなければいけない出来事と言えます。

家族や友人たちの悲しみや苦しみを考えると甚大な被害でした。

黒田さんから引き継いだ植田新日銀総裁 よろしくお願い致します。

黒田前日銀総裁と植田日銀総裁の写真はNHKから