(スピードスケートの世界)高木菜那の高木美帆への気持ちの変化

(スピードスケートの世界)高木菜那の高木美帆への気持ちの変化

美穂、転んでしまえ!
2022年の北京オリンピック
団体追い抜き決勝は2連覇目前で高木菜那が転倒。カナダに敗れ銀メダルとなった。
日本は最初からリードをしていたが最後のカーブで高木菜那が転倒した。

原因は今も「正直わからない」と高木菜那は言う。
高木姉妹
姉が高木菜那
妹が高木美帆
2022年の北京オリンピックのスピードスケート女子のメダル数は4個。この全てに妹の高木美帆がからんだ。

姉の高木菜那は兄の影響で7歳からスケートを始める。だんだんと頭角を現し始めてきた高校生の時に、すごい女子選手が登場してきた。妹の美帆だ。
2歳年下の美帆が15歳の時に2010年バンクーバー五輪代表となる。

スーパー中学生高木美帆にはスポンサーも付き、特注のウエアまで用意された。同じ家に住み得意種目も1500mと同じ。

バンクーバー五輪は現地での応援にまわった。
妹美帆の滑りを観戦した。そして思った。
「(妹が)転んでしまえばよかった」

バンクーバー五輪の4年後のソチ五輪で初出場することができた。だが結果は残せず、世界との壁を痛感する。身長が156センチと小さい。「人と同じことをやっては早く滑れない。試行錯誤の上、滑りのベストポジションを探した」

2018年の平昌五輪オリンピックでは努力が開花した。金メダル2個。冬季五輪で2つ目の金メダルは女子では初の快挙(かいきょ)となった。

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母親からの言葉で迷いが消えた

北京オリンピック前
妹の高木美帆は連戦連勝と好調。世界記録まで樹立している。一方姉の高木菜那の方は深刻なスランプに陥っていた。そんな時に母親から電話がきた。

「最後の最後ぐらいは楽しんでほしい」21年12月に母親からの電話越しの願い。
高木菜那は母親のその気持ちに応えたいと思った。

もう記録では妹にかなわない。
現実を直視しよう。

残りのレースを後悔しないように最初から全力を出した。
21年12月のW杯で1500mで2位となった。この種目では初の表彰台。

「妹と比較して自分を認めることから逃げてきた。最後の最後に自分のレースができた」
菜那から迷いが消えた。

北京オリンピックは高木菜那の転倒で、団体追い抜きは銀メダルに終わった。

高木菜那の高木美帆への気持ちの変化

「妹には、かなわない」
現実を直視することで、迷いが消えた高木菜奈。

北京オリンピックが終わり
元来明るく、話好きの高木菜那さんのお気に入りの講演会の題目が「なな転び八起」だ。「なな」は自分の名前の菜那からきている。

高木菜那さんが子供たちや若いスケーターに伝えたいことは「たとえ夢にたどりつかなくても追い込まないと後悔する。私は最後まであきらめなかった」


写真は読売オンライン「竹田津敦史撮影」を使用。五輪マークはPixabayより使用
この内容は22年12月22日 日本経済新聞の記事内容をもとにしています。
「(妹が)転んでしまえばよかった」
普通なら公(おおやけ)にしない。黙っておく。
妹へのこだわりや迷いが消えていかないと正直には言えない。