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酒井忠次と徳川信康の関係を知り家康の凄さを知る
徳川家康の子供、徳川信康は織田信長の命で切腹させられました。
徳川家康の妻であり徳川信康の母である築山殿も介錯人の手で人生を終えました。
徳川家康の家臣である酒井忠次が織田信長に拝謁(はいえつ)した時。
織田信長から詰問された。
徳川信康の残虐な行いについて
家康の妻である築山殿が武田に内通している件について
「いかに、 このとおりか」
と信長はきいてきた。
ここで酒井忠次は「何かの誤解でしょう」と言っていれば、築山殿事件は起こらなかったかもしれない。
酒井忠次は「心当たりがございます」と信長に言った。
信康を破滅させるために答えた。
酒井忠次は徳川信康と仲が悪くお互いに憎んでいた。
徳川信康が徳川家を継げば酒井家は取り潰されるのではないか、という不安もあった。
徳川信康の性格
秋の季節に、城下の者たちが城主に「踊り」を見せるイベントがあった。
信康は、その踊りをみつつ、弓矢を取った。
踊りの下手な者、服装の粗末な者に対して、つづけさまに矢を放った。
信康は「鷹狩」が好きだった。
ある時に僧と出会った。
僧に会うと獲物がないというジンクスを聞いていた徳川信康は、獲物が取れなかった原因を、この僧のせいにして、みずから僧を捕らえて首に縄をかけ、馬につなぎ馬を駆け出させ命を奪った。
織田信長の子供であり徳川信康に嫁いだ徳姫が、この僧の事件のことを信長に報告しています。
徳姫の手紙には信康の残忍性と義理の母である築山殿が武田氏に内通している内容だった。
徳川信康が人を思いやる気持ちを持った武将なら築山殿事件はなかった。
酒井忠次に対して大声を上げて罵倒するような行為をしていなかったら築山殿事件はなかった。
徳川家康の嫡男として普通の人格が備わっていたのなら歴史は変わっていました。
右上は築山殿役の有村架純さん、右下が酒井忠次役の大森南朋さん、画像はReal Soundから
NHKの大河ドラマの酒井忠次のプロフィールが、特技は宴会芸 えびすくい。
「えびすくい」など、どうでもいい。
酒井忠次が織田信長にチクらなければ、有村架純さんを番組最後まで見られていたはずです。大森南朋さんは有村ファンを敵に回した。
徳川家康という人間の凄さ
織田信長の命令に従い、徳川家康は信康を渥美湾の海浜である「大浜」へ移し、そして浜名湖畔の堀江に移した。
家康は三転させて、遠州の二俣城に移させた。
脱走できる機会を多くしたが警備の将である大久保忠世は警戒を厳重にして逃げ出せる余地を封じた。
大久保忠世も徳川信康に対して憎んでいた。
徳川家康の凄さは、この事件が終わった後も酒井忠次や大久保忠世に対して「身分を保証」
そして重臣とし続けた。
徳川信康役の細田佳央太さん 画像はReal Sound 家庭教師のトラコより
ドラゴン桜で性格が良かったと思っていた細田佳央太さん(徳川信康役)の庶民への仕打ち。
朝ドラ「ちむどんどん」で唯一、人が良かった大森南朋さん(酒井忠次役)の有村架純さんへの仕打ち。
二人の性格の良さを信じていただけに残念です。
晩年
城内で幸若の舞を見ていた。
曲は「満仲」
満仲の郎党が若君の身代わりに我が子の首を切って差し出すくだりで、徳川家康は目に涙をためて、酒井忠次と大久保忠世の方を振り返った。
「あの舞を見よ。よく見よ」
酒井忠次と大久保忠世の二人は顔を上げることができなかったという。
これも後年
酒井忠次が自分の子の家督が低いことを家康に頼みにいった時
家康が忠次にこう言った
「そちも子の愛(いとお)しいことがわかったか」
築山殿事件のことを忘れることがなかった家康。
酒井忠次と大久保忠世の二人を罰することもなかった家康。
このブログは、司馬遼太郎の「覇王の家」の内容をもとにしています。